母の日なので感謝を伝えます
母の日なので感謝を伝えます
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--- 文字起こし --- 感謝を伝える母の日 毎度ちょっと準備に時間がかかり申し訳ないです。 皆さんおはようございます。おはようございます。こんばんは。 本日は母の日ということですので、ライブの方に母も来ていますが、 1年に1回の感謝を伝える日ということで、 親孝行という面として返せることは返していくのが 旅行とかそういう形ではなくて、 形もちゃんと渡すんですけど、後でね。 一応思いとしてちゃんと残そうということで、 去年も確か母の日にはこの場で何かお伝えをしたって記憶があるので、 今日はコメント返信とかもせずに、改めて、 親子関係みたいなところ、お前らよくね?みたいなことをよく言われたりとか、 仲良さそうだよね?みたいなことを言われるので、 そうなった経緯とか、自分なりの思いとか、 そこについて今日はお話しできればと思いますので、 よければ聞いていってください。よろしくお願いします。 母との独特な関係 じゃあ録音開始してやっていきます。 どうも、Sotaです。 このチャンネルではフォロワー数1万人以上、 たくさん配出するステップというコースを運営したり、 フォロワー数1万、5万、10万、そして20万人を超えるような インフルエンサーのマネタイズのサポートを行うエスロードを運営したり、 メンズ美容サロンのフランチャイズオーナーとして、 僕にしかできないような一時情報のみを 厳選してアートフットディスクラジオとなっております。 皆さんが知って本当に良かったって思う情報のみを 厳選してお届けしてまいりますので、 よければフォローのほどよろしくお願いいたします。 Sotaの伊沢大学は概要欄からチェック。 ということで、本日5月11日は母の日ということで、 1年に1回の母に感謝を伝える日ということですので、 このボギシーという場をお借りして、 1放送分として感謝をお伝えしようかなというふうに思います。 1年に1回の定期の話ですから、 親孝行というほどのものはね、 僕は普通にめちゃくちゃ返せるわけではないですが、 話として、ネタとして返すことで、 僕と母の謎の親子関係とかがね、 参考になるという人もいるかもしれへんので、 そこについてだったりとかちょっとね、 あればいいかなというところがありますので、 本日もよろしくお願いします。 なので、今日はコメント返信なしで 直接本題の方に入っていきます。 よろしくお願いします。 ということで、母の日、 1年に1回の母に感謝を伝える日ということで、 1放送分として感謝をお伝えしようかなというふうに思います。 ということで、母の日、 1年に1回の母に感謝を伝える日ということで、 1年に1回の母に感謝をお伝えしようかなというふうに思います。 なので、改めていつもありがとうございますということですね。 なので、改めていつもありがとうございますということですね。 はい、今となってはですね、 会社の部分のちょっと経理部分だったりとか、 そういうのを任せたりとか、 少しずつ手伝ってもらえる面は 手伝ってもらいながら色々進めたりとか、 あとはね、実際の僕の運営している講座ですね、 ステップとSロードってそれぞれありますけど、 ステップとSロードってそれぞれありますけど、 そっちの講座って中での一種のムードメーカー的な、 一種のシンボル的な立ち位置として、 一種のシンボル的な立ち位置として なんか過去を不快にうちの親が来ないと え、来てないんですか?みたいな いう風になるぐらいの なんか ヌックがコンサルをしてる時間の時に コンサルじゃないゾーンで昔の子育てとか今の教育論を話してくれるっていう もう一つのちゃんと一つのムードメーカー 象徴的存在として今はね 動いていただいたりもしてるので まあ僕の講座運営というところでは なくてもならない存在ですし 純粋にこう会社としても 一つ大きな部分を任せしている面があるので まあ今でもね だからこそなんですけど まあそういう仕事というか 一緒に働くっていう面でも 関わったりとかしてるから ぶっちゃけですね まあ普通の親子関係とはまた一種 ちょっと別のご縁があるみたいなところは まあレアかもしれないですね 例えば何だろうな 普通本来だったら寄生するとか 実家に帰るって 親に顔を見せるとか なんか親と顔を合わせる機会がほとんどないから まあ今元気かどうかを確かめる LINEもロックにしないから 元気かどうかを確かめるために まあねお盆とかお正月とか帰って 顔を合わせますみたいなことが多いと思うんですけど まあうちの場合はですね そもそも親が東京で散歩をするのが好きというね まあ母と父両方とも東京に来て あのクソ田舎群馬から東京に来て 歩き回るのが好きってことで 定期的に東京来るんで まあそれで時間が合わない時が多いですけど 会えば顔を合わせたりしてるんで そもそも顔を合わせますと まあオフ会があればオフ会で顔を合わせる機会もありますと っていう感じだから まあ言うてなんですよね 言うて別になんかその顔合わせなさすぎて あの今俺が何やってるか知らないなんてことはないと それとこれこんだけ毎日発信してしまってるので 僕が今現状どんな感じかっていうのは セキュララにバレてるということですので まあまあまあそういう面もあって まあわざわざ規制する必要ってのも 本当にもうほとんど僕には必要ないんですね 母の教育に対する姿勢 そうぶっちゃけだから まあこれから正月 まあ正月はね戻らないとおばあちゃんに怒られるからな はいあのまあそこは考えもんですけど お盆とかはねバーサル買えなくてもいいかな とか思っちゃうぐらい まあある意味こう仕事っていう方に せん振りできている 一つのこともあったりしますと まああの何やともはですね 本当にあのこうして今の会社をなんとかね やれてるのも一つ大きな要因として 母の存在っていうのはあるので まあ改めて感謝ですね 本当にいつもありがとうございますと はいでまあ僕にとって 母っていうのはなんだろうな 今は仕事としても重要なピースとしてもそうですけど そもそもですね いつもよく言ってるんですけど 僕としては尊敬の対象なんですね そうなんか自分こんだけこう偉そうに教育学とか なんかこうインスタ業界というものに溢れる この謎の祖母というか違和感みたいなものに対して まあアンチテーゼを唱えていく まあいわゆるその唯一無二みたいなところとか まあなんかそういうところで まあ世の中でずっとされているものに対して 歯向かってアンチテーゼを唱えていくっていうこと こういうものっていう状態にしてくれてるのって まりに母親の背中があったからなとは思うんですね よくこういう場でちょこちょこ話題に出したりしますが まあうちの母はとにかくですね 既得権益に対してめちゃくちゃな反発心を持っている ってタイプだったんですよ もともと今の教育業界がダメだとか 教育委員会がクソだみたいな そういうものをもともとめちゃくちゃ持っている人だったと 特に女性の働き方っていうところですよね 会社も男尊女卑みたいなことは 昔あったと思います 当然ね男尊女卑で まあ今はだいぶそれがなくなってきて まあちょっとバランスが取れてきたっていうのは あると思いますけど 教員の世界の男尊女卑のレベル感ってのは 半端なかったわけですよ まあいろんな意味で平等層に見えて そこに対してもっと女性が権益を持つ 女性校長っていうのが少ないのも 一個の原因だと思うんですよね それもいい事例だと思うんですよ っていうところが既得権益への反発心ってところから 教頭やって校長先生やって で校長になったら教育委員会に歯向かって 自分の子が学校だけ違うこと知らすみたいな そんなことすらやっていたようなタイプだから まあそんな背中を見て育ってきたタイプなんですね 僕は だからアリンによく言われるのは 性格弁とかやろうとしてる そういう何かにやりきっちゃう姿とか そっくりっぽいんですけど だからアリンに僕の今の 何だろうな インスタ業界とかに対する違和感だったりとか そこの既得権益に対して 容赦なく反発していく これはどうなん そもそもおかしくねみたいな感じで 自分なりの考えや思いっていうのを 容赦なくぶつけていくっていう このアンチテイズ性みたいなもの こういうのは結構親譲りなんじゃないかな とは思ったりもします まあ本当にそれぐらい 母親がやってたことって すげーことだなって 今別に学校の先生を知ったわけではないですよ 知ったわけではないけど まあいろいろこう見ていく世界の中で やってたことって 結構すげーことやってたんだなっていうのは 改めてすごい感じますね まあなんかその大学生の時は 塾講師のバイトしながら もう1個のバイトが 学校の先生の副担任のワルバイトをしていたので 生徒指導員っていう役割ですけど 事実上数学の先生の副担です 完全に サポートとか5時間6時間とかをね 授業一緒に回って 各学年の授業回って 手伝ってたんでガチで とかそういうことしてきた人間なので まあ学校っていうもの そして職員室っていうこの闇 職員室の闇の雰囲気というか あとはなんかその 金だけもらってる公務員の ドロドロした部分とか 人間関係のヤバさとか 隠室ないじめ関係構造とか そういう人間関係の 気持ち悪さみたいなものも まざまざと 別に長くいたわけじゃないけど 1年ぐらい見てしまった っていう中もあります僕は あんなのを40年間以上見てきて そこに対して反発したんだなって考えると すげえなって改めて思ったりもします 僕は耐えらんですね あの職員室のあの雰囲気って ヤバすぎますね 僕の同期とかがよく耐えられてるなって 改めて思ってますけど みたいなそういう世界線で 生きてきてる 生きたと でそこから実際に 教頭校長ってのをやって そして今どういうわけか なぜか僕の会社の手伝いを してくれているという すごいキャリア形成になってますけど だからこそ そんな姿を見てきたからこそ 今のね僕があるとは思ってます でよく多くの人が言ってることとして なんかあるのが 僕みたいな子供って どうやったら育つんですか みたいなこと うちの母に聞いたりとか どんな子育てをしてきたんですか みたいなことって よく言われるわけですね で僕が子供目線として 感じていたことですね これをこういう日だからね 実際息子さんとかいらっしゃる方とか 多いと思うので 僕が小学校の頃から 中学高校と そして大学今と どう自分は感じていたのかってことを 今振り返って考えてみようかなって 思います まず小学生の頃ですね 幼稚園の頃の記憶はあんましないです 0歳から途中まで 0歳から3歳後半ぐらいだっけ 4歳前ぐらいまでは中国にいたので 中国の日本人学校に 中国の天心ってところに住んでいたので ぶっちゃけその頃の記憶は もうほぼ皆無です 1回だけハッピーハロウィンみたいな ハロウィンの時に 幼少期の記憶 自分の母親の頭が かぼちゃかぶって出てきた時に 大泣きしたっていう この記憶だけは なぜか自分の記憶に強烈に残っていて そのシーンだけ中国の記憶があります なぜかそのシーンと 最終日に車で出て行くシーンだけは 記憶にあるんですけど それ以外の中国の細かい記憶は マジ1ミリも無いです すいません欠片も無いです 4歳ぐらいまで僕は分からないです 記憶がマジで無い どうやって中国語も喋ってたらしいし 日本語も同時もいじまじって喋ってたらしいけど どうなってたかもよく分からない 幼稚園の記憶もあんましないんですよ ぶっちゃけ めっちゃあるかというとそんなない なんかマラソン大会とかは 早かったなぐらいですね 運動会とか 何したかってよく覚えてない ってのがぶっちゃけなところです あと延長生生の中で言うか そのぐらいじゃないですかね でしたと 小学校小学生ですね 小学校1年から6年 小学校の時の低学年の時に 僕は感じていたのは 多分純粋な寂しさだったと思います あの当時は 多分ですね 皆さんが想像している100倍ぐらい 僕は放置されて育ってきてます 皆さんの想像の100倍ぐらい 放置されてきてます 親聞いてるまで言うことか って思うかもしれないけど 事実として多分 普通の家庭からしたら お前ほぼ放置だろっていう 育てられ方を 特に低学年の頃はしていた と思います僕は正直ね だってそうですね 小学校1年2年3年の頃から 学童に入れられていたので 基本的に僕は学童暮らしでした 学童にボーンって 放り込まれてる状態で 学童で父母が迎えに来るけど ほぼ最後でしたからね 学童の中で 最終争いみたいな そうもう残り2人か 僕1人かみたいな 夜早くて 7時半から8時ぐらい じゃなかったですかね 多分早くても どんだけ早くても 7時はこうやってたと思うので そりゃそうですよね 父母双方とも中学の先生で 特に僕の小学校時代なんて うちの父と母が 最も熱が入る部活に 所属していた時だったんで 部活動命の2000年代前半ですから 2000年代後半 2000年後半ぐらいの 部活動第一みたいな時に 母吹奏楽 父ソフトボールみたいな ガチガチのね お互い県の中でも ちょっと名を馳せてる みたいなタイプやったから 遅くなって当然やみたいな感じで 全然迎えこないみたいな ゲームとかいろいろしたいけど できないとか 土日もいないんですよ 土日いないです 土日だって部活だから 土日も部活でいないでしょ 基本朝早くいなくなるでしょ 学校行く時も 僕が一番ラストでしたね 学校に行くのラストでしたね 基本的に親のお見送りなんて 長かったですし 親の方が先に出てくる 7時ぐらいになると 二人ともいなくなってる みたいな感じだったんで 自分で出てくるみたいな感じでした 母方の父母 母方のいわゆる祖父祖母ですね に週一月曜日の週一で 学童に行かずに月曜日だけは その時だけは低学年の頃は サッカーに行ってました 群馬県の隣町に 祖父祖母が住んでたんですけど そこで週一でサッカーやってましたね 低学年の頃はサッカー サッカーで一応キャプテンやってたんかな その当時は みたいな感じでしてました 僕結構小学校時代は 親に育てられたというよりかは そのおじいちゃんおばあちゃんに 育てられた感が半端ないです 実際に高学年の話もしますけど その頃はもう 自分の父方のおばあちゃんに 大反抗期みたいなパターンのタイプだったんで だから小学校の頃は 低学年の頃はそうですね 特にそっちの母方の おじいちゃんおばあちゃんに すごくよく育ててもらったな っていう印象があります だからおじいちゃんはなくなっちゃったんですけど めっちゃ悲しかったですね なんか遠く離れてたって感じじゃなくて めちゃくちゃお世話になってた みたいな感じなんで 僕たまにこうやって関西弁が出たりすると思うんですけど それは多分完全にそっちの家系のせいです ちっちゃい頃から あとあんまし日本語っていうものを覚えたのが 低学年の生まれからすぐの時とかは 中国語と日本語が入り混じってたんで その後から日本語っていうので その時にそっちのおじいちゃんおばあちゃんに よく見てもらったから 多分そっちが定着してるんやろうな みたいな風に思うんですけど みたいな感じでした なので僕の低学年の印象としては 俺って本当に育てられてるのレベルで 半分以上放置だったような記憶があります 一緒にいる時間は夜寝る時みたいな 小学校時代の反抗心 夜寝る時朝超早いみたいな そんな感じの生活でしたね 懐かしい そしたら小学校高学年の方に 移行していくわけです 小学校高学年の方になってくると いよいよですね学童が嫌いになります なんで俺らは なんで俺はこんな時間にゲームをできずに なんでこんなところに閉じこめられなきゃいけないんだ ふざけんじゃねえみたいになりまして 俺は家に帰りてんだと 友達と家で遊びてんだごらん みたいな感じの反発心で 確か小学校5年生あたりで学童を辞めます 確かそっから足枷が外れた 僕は大暴走して ゲームをマジで死ぬほどしまくるみたいな パターンを送ったタイプですね 野球をサッカーを辞めて 野球を始め 野球でレギュラーとかなかなか取れずに ちょっとカーストの下に行っちゃって ちょっといじめっぽいのを受けたりとかしましたけど 最後はレギュラーだったけど それでもカースト制度をしたいって言ったなって あの時はそういうの分からず なんでこうなるみたいな でも友達として遊んでくれるみたいな なんやねんその飴と鞭みたいな 謎な現象を繰り返しながらやってましたね その時から多少ね ちっちゃい頃の悲しさってよりかは そうやってゲームがあれば なんでもOKみたいな時間が生まれ始め 家族とはね テレビをよく見る テレビっ子みたいな感じな よくいる子供になったのかなと それでも親の帰ってくる時間は 相変わらず死ぬほど遅いとか もっと遅くなった気がしますね なんでまあとにかく接する時間ってのは めちゃくちゃ短かったような記憶があります ただ親との対談動画とかでも たまに出てますけど まあそういうゲームとか含めて こう買ってもらう時とか っていうのはすごい何々ができたらとか すごい条件だったりとか すごい節約的な思考だったりとか ある程度の自由度制限みたいなものは ちゃんとやられながら その限られた時間での子育てみたいなところを 最大化されていたなあっていう感じです 小学校高学年の頃から 祖父祖母もそうやし 家にいる父方の祖母の方への反骨心も 反抗期と呼ばれるものですね が激通になりますと 自分は両親に対して 反抗期がなく 祖父祖母そっちはそんななかったか 特に実家にいる祖母への反抗期 っていうのが半端な激通だった みたいなキャラですね めちゃくちゃ反発しました 今はそういうのも 一周回ってないですけど 当時はもうめちゃくちゃ嫌いでしたね なんやねんっていう感じですけど まあ何言っても通じないんで ダメだこれみたいな感じになってた 記憶があります っていう感じかな あとはね 父と母っていうのに 反抗しようという気すら起きなかったんですよね 一つあったのは なんでかっていうと 父と母ってね うちの母親とかを見たことある 講座生の方々って 結構何人かいると思うんですけど まああんなおちゃらけたキャラで フワフワやってますけど あの人一応県の中で有名なんですよね 地味に 地味に県の教員の中で有名だし 父親なんて 群馬県の先生の中で 切れさせたら一番危なっかしい人 みたいなので なんか流し入れてるっていうのが 噂に入ってくるような人だったんで 絶対反抗しちゃダメじゃんみたいな そんな感じだったんですよ なのでなんかしたくても できないみたいな 絶対この人怒らせちゃダメだっていうのが なんかねずっとね 小学校高学年の頃からあったんですよね この両親を切れさせたら 俺は死ぬ 多分死ぬんだなって思ってたんで なので今もどの道喧嘩することもなく ほとんど喧嘩なんかしたことないですね っていうまま来たって感じです 親の働きと理解 まあ喧嘩したのはピアノぐらいか 幼稚園の頃からピアノを習ってたんで ちょうどその高学年の小4か小5ぐらいで ピアノは辞めました なのでピアノ歴5、6年ぐらいですかね みたいな感じでした 小学校高学年の頃の印象としては 多少親の働きを理解というか 諦めに入りましたからね 低学年の頃は寂しさだったと思う 寂しさとなんかかまってくれてないか みたいなので育って 高学年の時に悟るみたいな感じですね あ、学校の先生ってこういうもんなんだ みたいな だからどうやらなんか 小学校の担任の先生とかに 遅いんでしょみたいなことをよく言っていた みたいな歴史があるぐらい みたいな感じで一周回りました っていう小学校時代でしたね なので皆さんのお子さんとか 小学生の方々って 結構多かったりするなって 僕勝手な印象があるんですけど 小学生の頃僕は多分 最も構われてないですね てかだいぶ放置された記憶があります 今のまだ俺の親大丈夫? みたいな感じになりそうですけど それでもちゃんと一緒にいた時間は しっかりやってくれたっていうのは あったなっていう印象ありますし 特に野球の頃は 野球の時とかはね 試合とかの時とかはね 積極的に来てくれたりとか あとは家でバーベキューやったりとかね でそこで一緒に 家みんな近いんで バーベキューで一緒に集まったりとか 親が家にいる時とかはね 今となっては ガチで申し訳なかったなって思うけど 両親が休日として家にいる時って 激レアなわけですよ そういう働き方してるから 部活で土日も潰れるわ 平日は働いてるわで なのに土日に親が家にいる時に 友達を呼んで遊ぶっていうね 今更だから クソ迷惑なことやっていたなって思いますけど そういうこともやらせてもらってたので 色々悟って もうそっかっていう感じで 親ってこんなもんだよなって たっかんした気が 小学校高学年だったなっていうふうに思います 続いて中学校時代に入ります 中学校時代は 野球っていうのの奴らと 一緒になりたくなかったので バドミントンを将棋法で選びました バドミントンが好きで 中学校の頃の思い出 バドミントンを選んだんじゃなくて 野球を活用できて 一緒にいる奴らが仲良くて かつ俺強くなれそうな部ってなんだ? っていうので選んだのがバドだった っていうだけなんですよね それが結果こんなにもバドミントン好きに 育ったわけですから 人生何があるか分かんないなと思いますけど バドミントン部を選びました で中学校の時からですね 僕の人格形成 アイデンティティの確立ってのが ちょっとずつ起こっていく気かなと思います 中学の時は 学級崩壊ももちろん見ましたし 担任の先生が処人の先生で 学級崩壊するっていうね もう同情しかしないですよ今だったら あんなやべえ奴らを どうやってまとめるねみたいな その中学も昔悪で有名だったんですけど その歴史上の中でも 最大の悪クラスみたいな レベルだったので まあやべえなみたいなのも見てきたし あとはいよいよ部活 そして両親の働いている 職業の世界に来て 部活というのを見て 両親の仕事や働き方を ちょっとずつ知ったりしていきます 実際に僕が中2中3の時に なんと僕の父親がですね バドミントン部の顧問になるんですよ しかも男子 なので実際に練習試合に行って まさかの敵中学校の顧問で 自分の父親がいるってことを 僕は1回経験しました 面白いですね 大会に普通に父親がいるんですよ 実際のスタッフとして なんとも複雑な感情ですよね 向こうの中学のトップのやつとかと ナンバー2のやつがいたんですけど そいつとはまさかの大学で再会する っていう面白いオチもあったりとか いろいろあるんですけど 楽しかったですね 自分の父親っていうものを 学校の先生としての父親を見るっていうのは また違った感情が湧くなっていうのを 感じた中学期でした この頃からもう親のことを だいたい把握して全てを悟ってます 学校の先生ってやばい職業だよねっていう 純粋なここを悟ります ここを悟り ある程度の自律性を持ってます なので何か過干渉みたいなことは お互い様にないみたいな感じですね 会える時に会えるじゃんみたいな感じ あと母親がいよいよ足がやばかったんで 手術とかしたりとかしましたからね 今となってあんな歩いてますけど あの人は足の腫瘍がやばすぎて 一時期歩けなくなるというか 足エシしてたみたいなタイプの人なんで よくも今あんだけ1日何万本歩いてるなって マジで思います 奇跡としか言いようがないですね みたいなので 初めて家族という人が手術で入院して 家にマジで帰ってこないなどを経験します ゆうてですよ 自分の両親が修学旅行で 2泊3日ぐらい帰ってこねえとか 1泊2日で両親が家にいないなんてことは 全然経験してきたことありました ぶっちゃけね それ自体も皆様からしたら 結構衝撃的かもしれないですよ 普通に自分の両親が 普通に家に帰ってこないんですよ 今から修学旅行2泊1回行ってくるわとか言って いないっていう 結構これは別に僕からしたら 特段すごいイベントでもなかったから どっちか片方が家にいない もしくはとてつもない運が重なると 両方家にいないなんてザラでした とかあとは両親とも飲み会 それぞれ別の飲み会行って 2人とも12時過ぎに帰ってくるみたいな 小学校の時にですよ 自分1人で家に残されて 1人でずっと家にいて 12時ぐらいに両親帰ってくるとか 結構ザラにあったみたいなタイプですけど まあでも修学の時にそうやって 母親がガチで手術で 1週間いなくなる時に やべえ親って本当にいなくなるかもしれないな っていう風にガチで思ったっていうのが 1回ありますね 結構今も強烈な記憶で 残ってるエピソードの1個です 親っていなくなる可能性あるんやな みたいな風に感じたことの1個でしたね まあでもそんななんだろうな もうその頃からはもうすでに 親っていうものは忙しい職業だなってもう分かってたし まあそれとまざまざとなんだろうな その職業の世界で映ってしまったので 実際に例えば 自分の両親の教え子が 僕の担任になるだったりとか そこに行く人が僕の両親と これまで働いていただったりとか その去年4月から去年まで 一緒の学校で働いてた人が移動してきた とかみたいなのを ざらに味わうようになります 中学に僕の行っている中学では 面白いですよね 行った職場で あ、〇〇先生の息子さんか みたいな感じになるっていうのを すごく味わって なんかちょっとはすげえ やっぱうちの両親ってすげえんだ みたいなのもちょっと実感したりします あとはちょっと意気揚々として 気分になったりとか これかバックナンバーだ これかとかのバックナンバーを知ったのも その中学校の頃ですね 中学1年の頃清水よりとかいう人が どうやら全国大会で 陸上に行っていたらしいっていうのと そんな人が高根の花子さんというのを 出したらしいって なんか堂々と職人妻に貼ってあったんで 誰だよこいつらって マジで思ってましたあの時 2012年くらいの話ですよ 誰やねんこの人たちみたいな思ってた けどそれがまさかの気づいたらね 今やブルーアンバーなんて 社会現象を巻き起こすかのようなものやったり クリスマスソングとかで クリスマスの代名詞とかになるとは 一ミリも思わなかったです あの当時本当に なんだこのヒゲボサボサの だって高根の花子さんの 表紙見てくださいよ 誰やねんこのおっさんみたいな感じで なのになぜか陸上部の全国大会の所で 清水よりって書いてあるんですよ なんやねんこの人みたいな感じだったけど 高根の花子さんいい曲やなみたいな感じでした で実際の合唱コンクールとかで 歌うホールにバックナンバーが来るとか 当時あったんですよ まだそれぐらいまだマイナーバンド メジャーデビューしたけど ちょうどマイナーだったみたいな感じなんで そう様々な家庭の関係ありますね そうみたいな そんな感じでいた頃ですね 懐かしいという中学校期 なので中学校の頃に親という職業を 全く別の形で ものすごく理解するということになります そうここが親への理解 親への理解期っていうね 高校での感謝の形成 だから遅くなっちゃうのはしょうがねんだ とか親が忙しいのって こんな語り方してるんだから そりゃそうだみたいな納得だわって言って なんかよくある 親が何してるか分からないから 子供はすごいわめくとか なんかねみたいなものとかを 色々と悟るっていう期が ちょうど中学校の頃だったなって思います そして高校が感謝と 感謝と威厳の期っていうふうに 僕は呼んでるんですけど 高校時代の親がね 僕が部員が全員辞めそうになった時に 裏で動いてくれたってエピソードやったりとか とかあとは僕自身がね 学校の先生というものを 目指すというか こんなクソ忙しい職業の世界を生み出す学部って 何なのかを知りてえとか言って 教育学に行くみたいなきっかけになったのが この高校ですけど この高校は本当に感謝と尊敬の形成かな っていうふうに思っています いよいよですね 僕のアイデンティティっていうのも ある程度確立されて 酸いも甘いも色々経験する気になりましてですね ここでいよいよ母親が 教頭とか校長の世界に入り出します っていうか多分確か中学校の途中ぐらいから 教頭試験とか受けて教頭先生だったかな 異次元なぐらい早く出てって 異次元なぐらい遅く帰ってくる人になります うちの母が 朝6時半ぐらいにはもう家出てたんですよね 誰よりも早く行って 鍵を開けなきゃいけないから 朝6時半には多分いなかった 6時半にはいなくて 家に帰ってくるのは 9時半とか10時みたいな ブラック企業にも程がありますよね そうっていう形で まあいよいよですね 母親がとてつもなく忙しくなる なのに毎朝お弁当を作ってくれている ということに出会います 朝5時とかの前に起きて 親がお弁当を作ってくれているっていう姿と 両親が最も忙しい日っていうのに味わい 毎回作ってくれて それへの感謝っていうので 本当に純粋になんだろうな うちの母のエピソードで 多分僕が毎回 ごちそうさまでしたって 必ず言ってお弁当を置くとか 途中から洗い物は必ず僕がやってたとか 最後の日には 全部ちゃんとお礼を伝えて これまで3年間ありがとうって言った って言ったと思うんですけど もう言うに決まってるよ みたいな姿を見ていたんですよ 僕も割と朝早く 当時5時半とかに起きてたんで 結構早くから起きてるのに めちゃくちゃ前から起きてるんですよ っていう姿とかを見て しかも作ってもらってるみたいなんで 感謝する以外の感情が出てこないような 姿をずっと見てたんですね こんな超絶忙しい 教頭なんて想像しなくたって忙しいの わかるじゃないですか 教員の世界を知ってしまった ちょっとだけ触れてしまったので そういう中学の世界でね 超絶忙しいよみたいな 分かってるのに毎日作ってくれてたんですよ しかも結構ちゃんと ってのを見た時に いや感謝もしないやつって マジでクソだなみたいな そういう風にガチで思ってたので なのでずっと感謝を伝えるみたいな 必ずご馳走様は言おうっていう風に その時に決めたんですよね 途中から本当に帰ってくるのが 僕の部活終了と一緒みたいな パターンが多かったんですよ だからよく駅まで迎えに来てもらったりしました 学校の帰りだから ちょうどいいから迎えに行くよみたいな そう自転車はその駅に置いといて みたいな感じとか 本当に僕部活動 バドミントン部の部長やってたんですけど マジでその高校の部活の中で 一番やってた部活なんですよ 夜9時とか過ぎまで普通にやってるって この野球部と同じぐらいみたいな 野球部のライトと バドミントン部の体育館が ついてるかみたいな感じだったんですよ それは部活自体はいつも7時に終わらせたんですけど 居残り伝みたいな感じで 顧問の先生がめちゃくちゃ僕の尊敬する一人なので 尊敬する先生の一人が 顧問の先生とずっと試合してるみたいな ずっと勝負してるみたいなことをやってたので バドミントンに来てましたね当時は 今更ですよ今更だ 今更思うのは あの当時バイトをするって 経験をしても良かったなと思ってます ちなみにですけど 週1回か2回ぐらいでもいいから バイトをするって経験はしても良かったなと 今更だから思ったりします うちの高校自称進学校だったせいで ほとんどバイトしてる奴いなくて みんな部活やってたんで 親への感謝 やろうと思っても難しいけど この業界とかこの世界に来て 高校からバイトしてる人の話とか聞くと その人生ってのも面白そうだなと思ったりしますね ちょっと話ずれました 色々話したんですけど それを通して高校でいよいよ 親への感謝っていうものが強くなります こんなクソ忙しいのに こんなやってくれて 本当に助かるのはすげーわ なのに自分の辛い時には 救ってくれたりとか あとはバドミントンで僕ガチ勢すぎたので ガットが死ぬほどよく切れるんですね 早いと2日ぐらいで切れてましたガットが ポンド数とか色々あるんですけど あとはラケットの感覚 握りの触感とか感覚とか ガットも種類があるんですよちゃんと このガットのこのポンドの この人にこういう風に作ってもらわないと 自分の当てた瞬間の気持ちよさから その完全なるコントロールが効かないっていう それをめっちゃ上手にやってくる人がいたんですよ お世話になってた人が その人の店とか行って 毎回やるみたいなのも送り迎えしてもらったりとか 色々やってもらってましたね 本当に感謝でした 大学進学の決意 なので高校生の頃に親への感謝と そこから教頭と父親は普通に そっからなんかものすごい既得権益を使って めちゃくちゃ早く帰ってくるようになってましたけど こんなヤバすぎる職業を生み出す学部 そもそもそんな教員って どんな状態で大学行くんか ヤバくねえかっていうのを思ったのと 尊敬する先生が2人とも数学の先生であったこと と大学の消去法ですね まず親に絶対迷惑をかけたくないっていう 思いが心の底からあったので 私立大学に行くっていうのは 選択肢にありませんでした当時は 絶対私立はねえと ありえんという感じでしたね 私立で年間数百万親に払わせる ありえない絶対嫌だって思って 国立しかありえないっていう風に もう決めてました 東京に行くって選択肢も当時はなかったですね なぜかっていうと今渋谷に住んでて 東京来いよとか言ってる人間ですけど 当時はまじ田舎の価値観に染まりきってるんで いやいやいや東京なんてあんなヤバい場所 人が住む場所じゃねえよって マジで思ってたんで あんなところに行って大学に行って なんか金髪になって なんか遊んでるの全員ヤンキーだって ガチで思ってたんであの頃 視野狭かったですね 東京なんてありえねえと本気で思ってました じゃあとしたら国立大学としてあるのが 高崎経済大学っていうのと 群馬大学の一つなんですね そうで高崎経済大学は興味なかったんですよ 高崎は面倒だと 行く気も大きいと まあ論外 じゃあ群馬大学一択だってなったわけですね 国立大学群馬大学に行くっきゃねえと ちなみに自称進学校のせいなんで 群馬大学に行けるなんて 上位1%いないぐらいの高校ですよ ちなみにですけど なのに群大一択だってなったわけですよ その年でも僕含めて群大に行ったのが たぶんね5人ぐらいかな 5人ぐらいで320人いるので 同学年320分の5ぐらいですね ちなみに群大行けるのは の中で知り合いが友達が3みたいな 同じクラスが3人いるっていう だから結構超頭のいいクラスに ありがたいこと言いたいんですけど で群馬大学教育学部数学専攻ってところに その行ってた自称進学校の高校が まあ元々男子校と女子校があって それが合併したみたいな感じなんですよ 合併して創立10周年記念 みたいな感じだったんですね 10年この10年の中で 僕が一応初めてです でその群馬大学ってところの 教育学部に行くっていうのは その創立以来初の人なんですよ 一応僕ってめちゃくちゃ祝福されました なんでお前ほんと教育やってないの っていうレベルで祝福されました だって学校作ってから まあいわゆるその公立高校で 県立か県立高校で 偏差値普通にめっちゃ進学校じゃない 自称っていうところで 行くところとしては まあいかに群大ってところに 行かせるかってのが まあ今のマーケティングだと KPIなんですよ 大学からしたら そこにどれほどすごい人たちが 行けるかっていうのが めっちゃ見られてる中で 5教科科目のしかも一番難易度の高い 数学なんかで行けちゃったんですよ 僕まあ一応その群馬大学の中の その各専攻っていう中の 偏差値の難易度で言ったら 一番数学が難しいです 一応ね っていうのに行けちゃったんですよ 偏差値自称進学校ごとにの人間が そうこれ奇跡なんですよね よく一応言ってるんですけど っていうのでめっちゃ祝福された っていう経験があります なんかこれはただの自慢話っぽく なっちゃいますけど 母との絆 だからまあ一応僕の群大の 国立に行ったのって なんかGマーチとか あの早稲田とか ぶっちゃけそのセンター式の点的に 言ったらそのセンターだけ出して 行けるってのあるじゃないですか あれだったら普通にGマーチは 余裕で受かってました 別に行けました正直 それぐらいの点を 奇跡的に取れて行ってたんですけど それで群大に行きますと でもじゃあ群大に行けたっていう時に なんで教育学部選んだかっていうと さっき言った通り まず親の職業を知りたかった そして尊敬できる人が 数学の先生が2人だった だから数学選んだみたいな まあこういうのがオチがあります あと他の学部に行きたくなかった というのがありますね 群大の他の学部 まず理工学部遊べない 女の子と出会えない論外だ ありえんバーンって弾いて 医学部無理行けるわけない ダー無理みたいな 残るが教育学部と 社会情報学部って2つで 僕当時パソコンなんて 1ミリもいじれなかったし 僕パソコンいじるの大嫌いだったんで 今のお前が言うから楽しいですよね ここら辺の話本当に マジで1ミリもタイピングできないみたいな 情報の授業なんて 僕大嫌いでしたから高校の時 なんでこんなめんどくさいこと やらなきゃいけないんだって マジで思ってたタイプなんで 論外ってなって 教育学部の消去法だったんですよ 語教科の中で得意だけど 好きじゃない数学ってのかつ 尊敬できる人がいたから 数学選んだみたいな おうちです ていうので選びました ていうので高校で 親への感謝っていうのを 素直に思ったのと 親への尊敬と感謝っていう念が 生まれたのがこのタイミングでしたね こんだけバカみたいに長く働いて ほとんど家にいないのに 毎朝ご飯 毎朝お弁当作ってくれるこの人って すげえってマジで思ってました ていうので母への 感謝っていうのが出ましたね なのに送り迎えとかも 適宜にしてくれたり 一緒にラケットでガッと張って 借りに行ってくれたりとか あとはもちろんね 練習試合だったら 僕ら電車で行きますよ 同じ県内でも ぶっちゃけ東京行きより遠いような 高校って普通にあるんですよ ふざけてんのかってくらい 遠いところあるんですね 皆さんからしたら群馬県って 高崎って言ったらさ ああ高崎ね 皆さんの普通の標準語で 高崎?高崎? わかんないけど 僕ら群馬弁だと前橋って言うけど 皆さんだと前橋ですよね 僕ら太田って言うけど 皆さんだと太田なんですよね これちょっとむずいので 一旦僕群馬弁のまま 行っちゃってるんで 許してください この辺は 太田から高崎行くって 距離感と電車の乗り換えの数見たら こっちから東京側向かったら 区域は超えるんですよ 余裕で 区域どころか大宮とかまで 行けるんですね ぶっちゃけ距離感的に言ったら 多分大宮よりもっと先まで行ける ほぼ東京行けるんですよ ってくらい遠い みたいなとこ練習試合行くとかあったんで でも全部そういうのを含めての 特に練習試合は 全然送り迎えとかほとんどなかったけど 大会とかで前橋に行く 太田から前橋行くってのも 僕大学の時になって実感したんですよ 片道35キロです 片道35あります 一番県で有名な群馬アリーナ っていうのがあったんですけど そこでの試合とかは 35キロかけて行きます 同じ県内ですよ 35キロですよ バカなんて話ですよね 普通に埼玉側行ったら マジで東京近くまで行けるんで 35回ったら っていうぐらいの距離感のところに 行ったりしてました で大学生になるわけですね 大学生で 親の職業の理解 そして真の自立っていうところに 行ったりするかなって感じですね 大学さっきやったとおり 群馬アリーナってところが 僕の通っていた大学のキャンパスの 徒歩2分のところにありますので 簡単に言うと僕は大学生時代 片道35キロかけて 旅をしていました 片道35キロです バカですね 僕毎日70キロ運転しました アホなみたいなところでしたね あコメント来てる ありがとうございます 数学嫌いで苦労しました 勉強嫌いですが子供が好きで 子供に携わる仕事がしたかったから やるしかないと勉強しました 群馬弁私は大好き 友人は高崎で一度会いに行きました よかったです そうだからね 皆さんがね 太田とか前橋っていうのが 僕からすると すげー違和感ですね 逆にそう太田 何それってなるんですよ 太田やろみたいな 前橋やろみたいな 自分の住んでる市のこと自体が 通常のイントネーションと違うし 県庁所在地も通常の イントネーションと違うっていうね 謎すぎるやろって話ですけどね っていうところでした 大学の話に戻りますが 大学になり 片道35キロをかけて 大学に帰ります その大学は 母親が通っていた大学でもあります 僕の母親が群馬大学教育学部 音楽専攻ってところ出身でございます そして僕は群馬大学教育学部 数学専攻ってところ出身ですので 学部は一緒なんですよ 完全に専攻が違うって言っても それって何何かみたいなもんですから 専攻は一緒なんで 直属の先輩です 40ないぐらい 30何年先輩が うちの母なんですよ 完全な直属の キャンパスも全く一緒なので 全ての文化が一緒です 大学生活の振り返り なので親が歩んだ大学の青春を 違った形で歩む みたいな感じですね 父親は北海道の大学なんで 全然違うんですけど っていう形になってました ここの大学の世界に入って いよいよ本当に 親の職業の完全なる理解と そこから自立 真の自立ってところが起こってきます 大学生になり 完全なる自立をほぼ遂げていくわけです 平気で朝帰りはするわ 余裕で余裕で片道35区なんで 毎日行って帰ってこれっかって 話になってくるので ザラに向こうであの夜サークルとかで 飲みさーとか飲み家とか飲みに行ってとかで お酒飲んで帰ってこねーみたいな 今日も帰れないみたいな 何回送ったことかみたいな感じです 家に2日3日帰れないなんてザラみたいなね そうとか春休みとかになったら 週7でスキーに行って 毎日違うメンバーとスキーに行くみたいな とんでもない遊び方をしていた僕です 髪色も当時はシルバーとか入れてましたね ブリーチハイブリーチ2回ぐらいして 銀髪入れたりとか 普通にブルーブラックとか茶髪とか 普通にやって であのちょっとカジュアルなファッションとかを えーとウィーゴーとかで買ったりとかして あのネックレス買ったりとか なんかダニエル・ウィリントンとか時計買って みたいなことやってました 普通の大学生です本当に だから皆さんからしたらまず想像つかないのは 僕大学生活送ってます 大学1,2年ははい 今のお前そんなことやるやつじゃねえだろ みたいな感じのことやってました 髪の毛染めることに全身全霊注いでいたし サークルで楽しむことだけを考えたりとか 大学のメンバーといかに飲みに行くかとか いかに大学の授業をサボるかですね 3コマ4コマをサボって あの高崎のイオンに行って遊ぶとか あとはあのなんだっけ 群馬県内の二郎系ラーメンは全部制覇しようっていう 二郎組みたいな感じなのを4,5人のメンバーで作って 毎回車にニンニク臭くなるから じゃんけんで負けたやつの車で そいつが運転で有名な店をずっと回るとか やったりとか あとはそういうメンバーでどっか出かけたりとか 平気で大学サボったりとかみたいな 本当に今考えたらね いやいくら安いと言ってもですよ 学費ってさインスタ口座の2倍以上はかかるわけですよ ね1年間でバカかっていうことですよね それをめんどくさい誰一でサボるっていう クソもったいないことをしていたなっていう はいあの思ってますね 教師のお仕事をそばで見てきましたが 仕事の時間はあるようでない 終わりなき仕事だと私は感じます いやその通りですよ この後その話しますけど さっきの大学でアホかみたいな生活をしています なのでいよいよですね 僕はほぼ完全自立状態なので 親もある意味自由で しかも親はいよいよ校長先生という世界になっています そんな感じで大学1、2年は半分暴走族感みたいな 成人式の日なんて ガチで成人式の日は たぶん3日くらい帰ってなかったですね 3日間連続で別のメンバーと昼間から飲み会とかしてたんで みたいなね 今の僕から本当に1ミリ単位も 想像できないような大学生活を送っていた僕ですが そこにコロナウイルスとかいうやつが来ます コロナですね ドカーンと来るわけですよ これによってですね それまでのスーパー遊んでいた生活は 真逆の生活が訪れます とにかく暇です やることが皆無になります なんだかんだですね その高校とかあとは 僕の今のコスパ思考みたいなものは やっぱり身についていてですね 大学1、2年でほとんどのタイムを取り切ってました ぶっちゃけ 遊び期間中で 大体のタイムは全部取り切っちゃったんですよ 大学3年から取る授業が 週1、1コマとゼミだけっていう 大学4年はゼミのみっていう状態になりました やばいですね 必須必須科目 大学1コマとゼミだけと あとは教育実習行くのみっていう形になり 死ぬほど暇になります なのに外に出てはいけないという宣言を喰らい 家から出られない生活になります やることなさすぎて とりあえずスマホゲームとかを ある程度全部ゼンクリして暇になりすぎて それでも足りないからって言って それすらも全部解除して まあ仕方がねえって言って あれしてました 本読んだりとか だから僕が本読みに行った理由ってのは まあコロナのせいで やることがかまりにもなくなりすぎて で見るもんもねえからって言って たまたまメンタリスト大学とか見始めて 本読むっていい暇つぶしじゃんってなって 本を読み始めたのがきっかけです で1日2冊3冊とか で本を1年中読むっていう あのきちがいな生活を送ったんですね その頃から僕っていう 人格形成が逆転します 完全に今の僕になります それのせいで 毎日本を読んでて 知識知見が広がっていくことへの面白さ なのにそれを実践に生かせないことの もどかしさっていう この2つのモラトリアムに出会い ここの話はあの僕の初めましてですね ところで結構大学生活の頃の話は 言ってると思うので とかあの就職とかね そっちの世界に行く話は 初めましての自己紹介の時を聞いてください でまぁ今回はね 母の日ルートなので ここで真なる自律と教員の理解 って話があった通り ここでですね えっと親と毎朝と毎夜 散歩をするようになります 母とはい まぁこのまま家で ずっとぐーたらしていても あの不健康になるだけだっていうのと まぁ当時メンタリスト第五に メンタリスト第五僕は あの100億%トレースみたいな状態だったので 大学3年生の頃は はい前も言ったことあると思うんですけど 朝起きたら 朝起きた瞬間に 何も考えずに水を2リットル飲み そして頭の思考を整理することなく 1時間歩行瞑想で 決まったルートを 完璧に決まったルートを 完璧な歩数で回るみたいな でその時に頭の中では常に 感謝の感謝の詞を唱えてたんですよ あの〇〇のこういう人よ こういう風な物事で こういう風になれることに感謝を申し上げます まそして〇〇というこの日々歩けてること 日々健康できてること こういうことに感謝を申し上げます そして全て自他 そして他者ともに こうした関係性を取り留めることに対して 感謝を申し上げます ってことは永遠と頭で唱えながら 歩くことと感謝をすることだけに集中して 1時間歩くみたいなことをした後に 戻ってきた後に ノルウェー式ヒートっていうね 4分間心拍数185ppm以上をやって その後4分間それをやって 3分間軽いランニングをするっていうのを 5セットから7セット繰り返すという きちがいなことをしていて それが終わった後に 何したっけサプリメント飲んで サプリも決まったサプリを完璧に把握して 朝飲む夜飲む用途が把握して 完全な生活を送ってました いかれてますね あの当時の僕はやばかったです その当時の名残のせいで 今もなんか無駄な雑学がいっぱいあります やばかったです あの時はこのサプリの ここのこの成分のコレコレは このタイミングのこの寝る前の こういう時に飲むことによって こういう成分が寝る時に こう活性化されて メラトニンがどうこうどうこう成立されて 夜寝てる時の こういう時の睡眠レスが 何パーセント向上してみたいなの 全部入れてました マジやばかった その時は ってぐらいやることがなかったんですね シンプルに言うと っていう中の一つの事象として 母親と夜散歩を一緒にするっていうのが 事象にありました 朝は一人で歩行瞑想して 夜は親と散歩をするっていう感じでしたね 1時間ぐらいかな 1時間から1時間半ぐらいかけて そのめちゃくちゃ長くゆっくり 歩くっていうのはやってました その時にやっていたのが 今みたいな感じで 今僕は皆さんの画面の前で こうやってベラベラ喋ってますけど 同じような感じで 母親に読んだ本をひたすら喋ってました この本のこれに書いてあるから こうでこうこうこうなんだよ こうこうこうやって言っててさ こうこうこういうことなんだよって ずっと言ってました 一方ですね 母親からのその会話のリターンで 帰ってきたのが 学校業界の闇でした 母との散歩と感謝 ようやく僕はそこで 学校業界の闇というものを 深々と知ることになるんですね うちの母がどんな世界で働いているのか そしてどんな職業なのか 教員という世界が そしてその教員ごとのイベント 昔の母親が 昔普通に勤めていた頃 教頭時代校長時代各学校 そのとある先生職員室の様子 授業の様子生徒の様子 その後の成人式とか 様々なイベント 様々なことを365日以上かけて 大学3・4というこの期間ですね この大学3年4年という 僕が実家にいて働くっていうところに 入る前までの間 毎日聞いてました 教員の理解と経験 そして僕のこの無駄な記憶力と 無駄な情報把握能力のせいで 母親より職員室っていうものを イメージできるみたいな 母親がこれのことなんだけど 言った時に これの人この人 前高校行ってた人でしょって 情報が繋がるみたいなレベルで やってました ということによって 僕は教員という世界と闇と そんな世界のアンチテーゼとして 母親が反抗し続けてきたんだってことを まざまざと実感します そしてさらにですね 大学3年生から僕は学習指導員といって 学校の先生の副担任の アルバイトをしだします 簡単に言うと大学3年から 僕は始めて大学1年から 4年間塾講師やって そのコロナに入った後から 学校の先生の補助っていうのを やりました そして大学3年生の時は 合計2ヶ月ぐらいかな 2ヶ月ないぐらい 教育実習も行きました 群馬大学付属小学校というね 最強のおぼっちゃのたちが通う 国立小学校 何もかもの次元が違うということを さまざまと実感した小学校の 小学校1年生を僕は 教育実習してました 僕がですよ 僕が小一をなだめてました 教育の現状と家族の歴史 折り紙作ったのすごいねとか言いながら マジでやってました 笑ってください 教育士とかやってる皆さん 笑ってください そういうようなことやってました でも大学3年生2020年ですよ 2020年の時点で 完全リモートの全校集会とか できてましたね びっくりしました 今は普通だと思うんですよ 別に でも当時5年前はやばかったですね 普通の公立高校とか 自分の父母ですら導入しなかった頃 そうでもひたすらそのところね 父と特に母親と 歩いてる時とかは いや早くIOTやれよって マジで言ってましたね っていう時代が今やね 結構みんなiPadで 勉強するようになったから 変わったなと思いますけど 小一とあとは地元の 僕の出身校に行かなかったんですけど 僕の母の母親が 最初に勤めた学校の隣の学校かな そうみたいなところに行きました 1ヶ月間でそこでも やっぱり母親に教わってたって先生とか 母ともともと働いてたって人もいましたし さっき言った軍隊の附属小学校には 僕の父母がめちゃくちゃ可愛がっていた お気に入りの生徒がいるんですよ 父も母も関わってたみたいな パターンの人がいるんですね しかも数学っていう その人は本来だったら そういう差別とか 否記ダメだけど 半分否記してくれて わざわざ僕の公開授業とか わざわざ時間をかけて 見に来てくれたりとか その後わざわざアドバイスくれたりとか 結構やってくれましたね 本当にコネって怖いですね 今更考えれば教員っていうものに対しての コネは僕反則ルートしか辿ってないので 不平等だなと思います この世の中みたいなものをやってました ていうのでいよいよそこで 僕の中で頭の中にあった その親から聞いていた とこれまでの人生で歩んできた その教員像ってイメージと 実体験ベースにおける このズレっていうものが 完全に保管されます そしてこれによってですね 僕は普通のここまでの話を聞いて 皆さん思うと思うんですけど こんなに教育学ルートで 僕の過去経験を話したことないと思うので 初劇の人も多いと思うんですけど だから僕は教育業界とか教員の世界ってのを おかしいぐらい知ってるんですよ わかります? 普通の人と普通に ただただ教育学部に通って 先生になりました 両親先生ですみたいなのとは ちょっとわけが違うんですね 残念なことに ていうもので問題提起だったりとか おかしいだろこれだったりとか そもそも教えるってなんだろう みたいなこととかに ひたすら向き合ってきたっていうことがあります それが今の僕のインスタってとこに 移ってきた基本ルートに存在しています ここにおいて いよいよ母親が そういうアンチケースをしてるってことと 母を純粋な尊敬対象として 見るようになりました この真の自立と 教員の完全なる理解の二つを通して 親ってすげぇんだなっていうことを まざまざと実感したんですね やはりですね インスタグラムっていう運用でも そうだと思うんですけど 第三者から聞く意見って ものすごく参考になるじゃないですか まるまる 例えばまるまるちゃんの この絵言ってるのめっちゃおすすめだよ みたいになったりとか まるまるちゃんめちゃめちゃいい人だよ ってなったら この人いい人なんだってなるじゃないですか その当人が 私いい人っていうよりも 別のところの人が まるまるさんはめっちゃいい人だよ って言ったら 絶対そっちの方が信用しますよね これ第三者の意見っていうね 手法ですけど よく恋愛でね この彼氏彼女にしていいかって時には 共通の知人に聞けみたいなのと一緒ですけど これの時にですね 自分の両親のことを知ってる人とか 自分の両親と同じ学校で働いてたとか 教わってたとか 元生徒であるとか 教わったことがある 一緒に働いてたことがあるっていう人たちが 口揃えっていうのが 岡田先生はマジでいい人だったって言うんですよ そうもう本当にね 一回も悪いこと聞いたことないです 息子がいるからってのは もちろんあると思いますよ 息子に悪いこと言わねえだろってのは そうかもしれないけど 結構素直な顔で言うんですよ みんなそう いや特に母とかのね 一緒に勤めてた人とかは もう本当に感謝だったとか あんなにこう学校のために 動いてくれる人ってなかなかいないよね みたいなところで言ってたりとか 父親のことも 父親のことってあんましね 僕のこの生活ルートの中で あんまし出てこないと思うんですけど 父にすごくお世話になったとか すごくいろいろ良くしてもらったとか 飲みに連れて行ってもらったとか そういう話を僕は聞くんですね まあレアでしょ 簡単に言ったら 皆さんの勤めてる職場に 息子が来て しかも違う時に たまたま一緒に働いてた人が 別の会社のところで なんか職業体験でいて 君のお母さんはめちゃくちゃ 良くしてくれた人なんだよ みたいなそういうこと っていうのをずっと言ってくれてるのを 僕はもうとてつもない数を 聞いてきたんですね これまでそう 特に母も多い 母父両方多いですね どっちも多い どっちとも関わってるって人が めちゃくちゃ多かったから でそういう人たちが みんな口揃えてるんですよ いや岡田先生は本当に いい人でいい先生でとか 本当に部活動とかでも お世話になった人が 本当に学年主任なんて もうこの人たち当たり前に やってたんで このうちの両親どういうわけか もう学年主任が普通みたいな デフォルト学年主任 普通に教務主任 教頭校長みたいなパターンだったので 基本的に立場が上なんですよ 役職ついてるとか 何々会のトップみたいなことばっかり やってるんだよこの人たち どっかしらどうそうなったみたいな 人とかが大量に言うんですね っていうのを聞いてきて 大学とか含めてで まざまざと聞いていくんですよ そうやって 学生時代の時は 純粋に親ってすげーみたいな 親の状況ってこうなんだ みたいな理解から 深い理解と実体験別を伴って 完全な尊敬に変わったんですね それなのに なんでお前教員やってないね って本当思いますよね ここまでのルーツ聞いて お前どうしたら教員じゃない道に 行くねっていう話だと思うんですけど これで教員を捨ててるんですから だからこそ僕が 今ここに教育学の信念が 母親への尊敬の気持ち こんだけ強いの分かってくれると 嬉しいんですけど だから僕は教育学ルーツだよ と捨ててるんですけどね 私は子供に携わる仕事で 教育に関係する仕事なんで 共感することばかりです 私は次なり夢に向けて 指導し始めてます 素晴らしいですね ありがとうございます ということで 改めて教員として 特に大学4年生の頃に母親は 完全に教育委員会に反駆ってましたね こんなにIOT導入してるのおかしいだろ って完全に反発したので すげーなみたいな 僕がさっき学習指導員として 副担当として入っていたのも うちの母親が オーラ町っていう町のところの とある小学校の校長先生をやってました 僕が行ったの中学校なんですけど そこがオーラ南かな オーラ南中学校ってところで もともとうちの僕の父親が 実際に勤めていた 長年勤めていた学校というか もっと言ってしまえば さっき僕が中学校の頃に 自分の父親とバドミントンで 練習試合に行ったといった中学が オーラ南中学校なんですよ 僕はそこに学習指導員に行くわけで 当然父親が働いた頃から ずっといる人もいる みたいな学校に行きました そのうちの母親の小学校の生徒が 中学になると多分オーラ南に来るっけ これは後で聞いてください オーラ南かオーラ町の どっちかに行くはずなんですけど っていう形の中学で そこの校長とうちの母は めちゃめちゃ仲が良かったんですね 中学校2つと小学校3つぐらいだったかな しかないので 校長先生の数がそもそも その町内で4,5人しかいないと 僕の父親もそのオーラ町内の 小学校の教務主任みたいな ところにいるみたいな 朝自分の実家の町から出てて みんな同じ町の学校にいるって 意味不明な家系でしたけど みたいなことをやっていて まあなんかもろもろいろいろあって そこで母の話とかを そうやっていろいろ聞かせてもらったりとか なんかいろいろしてました それを通してですね なのでそこから大学を卒業し そしてうよ曲折あり 今があるんです 今母親がちょうど 学校の先生校長辞めたのが 一昨年かなもうちょい前か 僕が多分ね このフリーランスとして 完全に働き出すタイミングの ちょい後ぐらいだったと思うので っていうことなんですよ で僕は東京に来て そして今こうして関わってるって ところなので だから僕はもう母親に 尊敬の念しかないんですね わかりますこのルート なぜ僕が母親のことを こんだけいつも立てるのかとか 普通に感謝してるかっていうと いつも言うんですよ どんな時にも 僕は母親尊敬の対象だって 言ってるのは こういう理由からなんです 今となっては尊敬しかないんです だってそういう姿を見てきたから だし母親っていう存在とか 両親という存在の 仕事感っていうのを僕は 人生経験を通して 間接的にいろいろ聞いてきたんですね 教育委員会にすごい熱意ある方だと 教育界における影響 すごい熱意ありましたね だからぶっちゃけですね 僕は両親が授業をしてるところを 見たことがありません 一回もないです 僕は父と母が授業をしてるシーンを マジで見たことがないです 見たことがない 一回その水槽学部 母親の水槽学部に ちっちゃい頃に連れてってもらって ひたすら可愛いねって 中学生に可愛がられるっていう 子育ての影響 男としては得しかないような 経験を昔したなっていう うつすらとした記憶がありますけど その時は別に授業してるわけじゃないんでね 父親の部活の姿は見たことあるけど 別に授業してる姿は マジで見たことないんですよ だけどすげえっていう話とかを これまで散々パリキーできました 周りの第三者から そしてその働き方を 実体験でも知りました この人生経験の 自分の見てきた世界と その姿立ち振る舞いを見て 僕は勝手に自立してったってタイプです 簡単に言うと なので今日の そもそも伝えたかったことが あれでしたね どういう子育てをされてきたかって 話だと思うんですけど 僕は勝手に背中を見る世界線に生きてきて 勝手に両親の背中を見て 勝手に理解して勝手に尊敬しています 簡単に言うと 基本的な子育てっていうものの 根本はされてきたと思います いわゆる放置は 放置っていう中でも なんか完全無視ではないですし 一緒にいる時間を楽しんでくれましたし 旅行とかも小学校の頃とかよく行きましたし 毎年野球のキャンプに 2泊3日で行ったりとか 野球観戦小学校高学年の頃は 野球観戦で千葉ロッテマリンズの マリンスタジアムに行って 夜でかい近くにあるアパホテルのところ泊まって 次の日も応援するみたいなこと 一緒にいる時間とか休みの時間とか 全員が休み取れる時間は 一緒にいる一緒に出かけるとか やってきました 休日っていう中の 午前中部活でとか 途中から働き方改革があったので教員は 午前中だけ部活行って午後いるとか 片方は絶対休みとかになってきたんで 結構家にいる機会も増えてきて 一緒に出かけたりとかっていうのも 高校とかかな 中学高校の時から増えましたね 正直言って一番アイデンティティ形成において 重要な期間の小中はマジで放置です 特に小学校は完全放置みたいな世界で 生きてきたので まあすごいね そんな中で今は逆に それもあってよかったなと思えるように 生きてきてよかったなと思います それで結果今は尊敬の念というか そこを生き抜いて 特に最後の図書館の方の 自分の母の学校の既得経緯に対する 反骨心反発精神というか そこの納得のいってなさとかを よくまざまざと聞いていたし そことかを聞いていて かっけえなと思ったんですよね やっぱその既得経緯とか その世の中で決まってるからとか 当たり前だからって言って そこで諦めちゃう普通の人は とか校長とか立場になってしまったら 結局なんかよくある その立場っていうものを通しちゃって まあなんか固いお固いものにするとか っていうものをうちの母は 全部ぶっ壊してた人間だなって思うんですね 校長先生の話とかを いつも母含めての校長先生の話を いかに笑わせるか 面白くするかだけを考えてるって 毎日聞いてたし それの仕方とかの話とかも よく聞いてたらやっぱ面白いなと思うし とか学校通信とかの校長先生の 校長先生の通信のところとかも いかにみんなに面白く楽しんでもらえるかってことを ずっと考えてみたいタイプで 固いことは言わないとか みたいなこともやってたし すげー人だなって思いますね そういうのでどんどん話せば 思い出すことっていっぱいあるんですよ 例えばなぜか中学校とか 小学校の時の保護者代表挨拶 なぜか自分の両親だったし その時にもなんかテクニック使ってるって話聞いて 天才だなこの人たちとか思ったし とかなんかいろんなエピソードあります まあただただですね とにかくなんかこの1時間ぐらいかけて 僕の育ってきたっていうルーツとして 喋ったのは多分初だと思うんですよね 誰にも僕視点で 僕の成長過程で どう子育てされてきたかっていう話は したことなかったと思うんですよ 多分初めてこういろいろ喋ってみました ですがどうですか まあなんか僕っていう こうアイデンティティの形成とかの中で 結構すごいキーパーソンになってるのって 結局背中を見て育ってきたっていう方なんですよね 僕は手厚くされたとか なんか丁寧に育てられたじゃなくて 背中っていうものを 母親の教育者としての姿勢 すごく見せられてきたなって思います 姿とか 当然全てが全て両親のね 全ての姿がかっこよかったとか 尊敬できる対象だったとは言い切れません 酒に酔っ払って 財布全部なくして帰ってくるとか 平気で家で吐くとか 階段から落っこちそうになるとか 顔キツザラケで帰ってくるとか 今の俺じゃねえかみたいな 帰り方をする父親を見たことも何度もありますし とかね 母と父が謎な喧嘩をしてるとか 超機嫌悪いとか そういうパターンとかも 何度も見てきましたし とか家で仕事してるみたいな パターンとかも見てきましたし とかいろいろありましたよ いろいろあったけど だからこそ今はね 特にこの僕のね 今のこのインスタグラムの物語では 母親がね深く登場してくるけど 僕は父親の方も死ぬほど尊敬します 死ぬほど尊敬するし まあよくね僕はジャンプとか 漫画の話とかアニメの話とか 何気ないことで盛り上がる ただのおっさんだと思ってるんで みたいな関係になったっていう形なんですね そうなんかそうですね だからこそ僕は父親と母親のことを尊敬できてる理由ってのは やっぱりその立ち振る舞いや姿を 僕は見てきたからだと思うんですね 結局その働き方っていうものをよく見てきたし まあその姿っていうのを大変さというか まあ学校っていうね もっと既得権利の深いところ 子供とか含めてと関わるそういうもので やっぱり見られる世界って やっぱり教えてるシーンだと思うんですね やっぱり教員でかっこいいところって やっぱり数学の授業とかで やっぱかっこよく教えてる その授業のシーンだと思うんですよ とか勉強教えてるシーンとか だけど学校の先生とかもそうだし だから僕も塾講師っていうので バイトしていてすごく意識していたのが そこじゃない価値ってのが 本当に多いんだなっていうのを感じたんですね だから僕の今のインスタ講座のルーツとしても インスタを教えることなんていうものに 価値が大事なのはそんなないんだよってのが そこにあって うちの親ってたぶん授業するのも たぶん上手いんですよ たぶん上手いのは間違いないんだけど どう考えても周りの人たちがすいてる うちの母親とか成人式になると みんなめちゃくちゃ人気出るんですよ あの母親のああいう感じなんで とか父親も謎に人気なんですよ なんでだろうと思った時に たぶんこれって授業が上手だったからじゃないんですね たぶんそこ以外のそういう細かい要素とかで 本気でそういうことを考えてるんだなってのが分かった やっぱそこが教育者やな そこが先生としての 本当の尊厳なんだろうなって思ったんですね だから教育者であるとか 教えるってことの本当の価値っていうのは そこの教えるっていう うちの母で言ったら音楽 うちの父親技術家庭科なんですよ 技術 たぶんそこじゃないんですね あの人たちが人気になってたのって たぶんうちの母とかってたぶんね 最後の音楽の授業のラストの方とか たぶん好きな歌でバンド作ってやるだったりとか 育成の学び 好きな曲歌おうぜみたいな そういうこと平気でやるタイプなんで とかそういうなんか教えるっていうところにない もっと先のその人生経験とか その人たちの思い出に残ってほしいとか 何だろう合唱コンクールとかも たぶんねその人たちのうちの父母の合唱コンとか 見たことないけど そうなんだろうな そういうのをただやってたとか ただ優勝するためにやったじゃなくて たぶん思い出としてどう残るかとか その人たちの青春時代ってのを どう彩った素晴らしいものでするかってのを たぶん考えて生きてきたんだなってのを まじまじと感じたんですね だから僕も教育学っていうね 今僕はインスタの講座運営とか教えるってのは 僕はもう教育学として見てるので 普通の人は多分インスタをただ教えるとか こうただ講座運営みたいな コンテンツ販売だと見るけど 僕は教育学として いつも見てるって言ってるより それで見てるからこそ 自分のバイトで塾講師っていうのを バイトしてる時も塾で 塾で教える価値っていうのは 塾のお勉強その勉強とか その問題を解かせるための その問題を教えることっていうのに 価値なんてほとんど存在しない そのまま別に僕じゃなくたって 誰だってできるんですよ アルバイトで何とかまかないでしまう 本当に定量的に 本当に見るべき価値ってそこじゃなくて そこの来てくれたお金払って 親子お金払ってますけど それだからせっかくだったら 来たいって思ってほしいじゃないですか そこの塾に来たいと思ってほしいし 楽しんで欲しいし なんかもっとそれによって この塾っていうさ 本当だったら学校の終わりに 友達と遊ばずに塾来るなんて 嫌じゃないですか 死ぬほど嫌ですよ 僕も中学校の時塾帰ってましたけど 嫌すぎて車で親に送ってもらった後 40分ぐらい外で何もしないとか ゲーム隠して持ってて ゲームして40分遅れで入るとか やつは人間なんですよ僕 中学の時ね 今時効だから言いますけど 親にはマジで迷惑かけました はいすいません本当に すいませんね送ってもらった後 40分ぐらい僕外でゲームとかしました クソですみたいなぐらい 僕塾行くの大嫌いだったんですよ だけど塾講師やった時に だから勉強をするために 来るじゃなくて なんか楽しんで欲しいとか なんかその人たちのね なんか人生とか その塾通ったって その思い出として ずっとかかってくわけじゃないから なんかその後の人生に 僕っていう思い出が 残って欲しいなって思いで 塾講師やってました その結果起きたのが その塾内で一番問題視されてるとか ちょっと塾不登校気味やったりとか 他の先生じゃ手に負えないとか っていう生徒を 僕は大体沸かせられるんですね いつもで 僕はほとんど授業をしませんでした 教育と体験の重要性 ぶっちゃけほとんど何か教えるとか 何か指導するっていうのをせずに 僕は本当にその子たちの恋愛話だったりとか その子たちの趣味とか 楽しかったこととか 最近の出かけた話とかをしながら それとか話しながら ちょっと好きなように進めておこうか って進めてきながら 一緒になって 遊びながら楽しんだりとか 平気で僕自分の大学の宿題とか やってました一緒に 俺も一緒に宿題やるからさって 大学マジ面倒ですよ 何なんこの宿題とか言いながら 分かんねえんだよ これとか言いながら ちょっと答えてくれない 代わりにとか言いながら 僕大学の宿題とか やりながらやってたんですよ そしたらその塾の中で 僕の教えてる生徒が 一番成績ゼロから全部伸びたし 親からも絶対行きたくないって 言ってた子が 絶対行きたいって 言ってくれるようになったとか もう僕が来る日に 何か選べるんですよ先生とか 僕が来る日に絶対に来るって言って 僕の来る日を事前に把握して 絶対に僕を指定してくれるみたいな 子がいたりとか その子とは2年間ぐらいだったかな 一緒にやって 多分めちゃくちゃ成績上がったかな っていうのをやって やってきたってタイプなんですね そう僕ってそもそものルーツが そういうところにあるんです だから教えるなんてものっていうか その内容を教えるとか 内容でそんな伸ばすなんてものは めちゃくちゃ当たり前だと思ってる そうそんなんできて普通 そんなん再現性しかないから でも本当に大事なのはそうやって そこにない今みたいな 人間性の訂正化されたものだったりとか その人にとっての思い出に 残ってほしいとか この姿や立ち振る舞いっていうものは 正直言って 親の背中から学んだものです 僕は母親だったり 父親だったりの どういうわけか この母たちとかの成人式とかで 楽しんでる写真が 非常に人気じゃねえかとか 周りの先生がいい先生だって言うとか そういう姿を見て きっとそこじゃない価値っていうのが あるんだろうなって背中を見てきて やってるから今の僕があるんですね そうだから今の僕の インスタ講座運営とか含めての ここにある僕の教育論っていうのが なぜ普通の人の教育論と違うのか 教育学と違うのかっていうのは 親からのルーツです 僕ははいっていうのと それなりに教育学っていう この教員っていうところを見てきたからこそ 今の僕があると思ってます だから教え方が違うよね 全然その視点が違うよね 大切にしてることが違うよね それは違うんですよ 家族への感謝 そもそも人生レベルのルーツが違うから ここら辺で最近インスタコンサルとか 講座とか始めた 一年目や一二年の人とは違うんです 僕は人生分だけその教育っていう姿を 見てきてるんで だからその分いろいろと もがき葛藤もあったし その塾講師の経験ってのも 結構偉大なものだったし 副担任のバイトって 経験もすごい大きなものだったし だからこそ毎度言うとおり 僕は母親父親に感謝しかないって いつも言ってるんですね 尊敬なんですよ だってこういうこんだけ大変なこと 今形は違えど そういうものに関わってる身として こんだけ大変な世界っていうもので もっと大変 親から怒られる 理不尽なこと言われる 自分の思ったとおりにできない 決められたことやるしかない っていう世界で戦ってた親って すげーなって マジで思ってるって感じですね すごいそういう寄り添いが大切ですよね 私の場合は勉強嫌いだから そちら側の味方になります そうそれも大事ですね 僕も勉強大嫌いなんですよ もともと死ぬほど嫌いでした だって僕いつも言う通り 中学校3年生の時 僕偏差39ですよ 中学校3年の7月時点で 偏差39ですからね 絶望的にもほどがあるでしょ そんな人間がね 高校の次小進学校までギリギリ行って その高校設立以来 初の国立大の5教科科目の 教育学専攻に受かるんだから 人生何があるかわからない でしかもだから教えるってところで 僕も今だからコンツァ運営とか やってる音声部屋とかのところでは インスタのことについて 教えることなんていうのは あんまししてないと思うんですね そんなできて当たり前だと思ってるし そこ自体でそんなところで 負けるはずがないって僕は思ってる そこだけは圧倒的自負があるから 見てきたもの作ってきたもの 経験してきたものが普通じゃないって 自信があるから そんなんで他の人の教えるとかに 負けるはずがないと思ってる けどそこ以外の要素っていうのは もっと僕は大事だと思ってるから そこを大切にしてるってことですね だから教育学っていう 母の日のメッセージ 僕の中の一つの道筋っていうのを 作ったもの それが今の僕のやってる講座 そしてその基盤 その僕のルーツ そしてそれらすべてを作ってくれて 今こうして一緒に しかもそのところに関わりを持ちながら 一緒にやれてるのが 自分の母親なんだっていうのが 正直あります だからあんまし皆さんがね いっぱいオフ会とかでいる前で 僕の母ってそっちの姿を ほとんど見せないので あんましイメージつかないかもしれないですけど ぜひそっちの世界観とかも 見ていったりとか 聞いていただいたりすると 面白いかなと思いますし これから結構ね 多分自分の母も ちょこちょこオフ会には ガヤとして来るとは思うので むしろ僕としては 自分が教えるっていう中で 教えるというこの領域において 近くに関わってる中で 尊敬できる対象っていうのは 本当に少ない中の一人だと 僕は思ってるし その絶対心というか 僕の教育っていうものの 絶対的なメンターって言ったらいいの? やってきた姿立ち振る舞いっていうのは 自分の母なんで だからこそ 今も感謝をしてるし 今日改めていつも助かってますと いつもその姿を見させてもらってます という話をさせていただきました ぜひ結構初めて喋ったこととか 全然違う普段の 僕とは違うルーツで 結構長くだらだらと 1時間12分喋り続けたんだ コメント返信もしてないから 喋りましたが いかがでしたでしょうか こういうことを公開するっていうのも 一つ珍しいかもしれないですけど 僕っていうのが どうして出来上がったのか っていうところには 今みたいなものが存在します だからそもそも教育学っていうのに なんでこんなに 僕がこだわってるのかって言うと 僕の人生そのものっていうのが 教育学っていうものと 共にあったからです だから大事にしてるし だからこれを他の人たちが 真似できるはずがないし するわけがないって思ってる っていうのはそういうところにある っていうのがあります ぜひ今日の話がちょっとでもね 面白いなと思っていただけたら 嬉しいなと思いますし 皆さんなりな感想や なんか僕のこの話を聞いて どう感じたかって 人それぞれによって違うと思うんですよね 子育ての面で刺さった人もいれば 教育学っていう面で 刺さった人もいるかもしれないし 全く刺さんない人もいるかもしれない でもその何かに対して ちょっとでも気づきとか 深く食ってくる点とかが もしもあれば今日話したことは 価値になるんじゃないかなと信じます 本日は本当にご清聴いただきまして ありがとうございました 無駄にエンディングでベラベラ 告知とかは今日はいいやって思ってます 改めて感謝を伝えてください いつも1年間ありがとうございます そしてこれからもよろしくお願いします そしてぜひですね 母親がいる子供 母親がいる方は 母への感謝を伝えていただければと思いますし 逆にお子さんがいる方は 母の日だからこそ 今日は1個なんか楽しんでいただければ いいんじゃないかなというふうに思いますので よろしくお願いします 子育てをしながらの仕事発信 いわゆるマミーギルドという 罪悪感に襲われますが 今日の話を聞いて 自信を持って背中を見せていこうと思いました そうですね 僕は背中を見てきた人間ですね 完全になって思います はいぜひ引き続き 明日から通常モードでまたやりますので よろしくお願いします 本日はご清聴いただきまして ありがとうございました 続きの雑談は軽く YouTubeの方でしますので よろしくお願いします それではまた次回の放送でお会いしましょう 以上そーたでした ありがとうございました よしじゃあ続きは YouTubeでベラベラ語ります また明日
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